トロロアオイを農家・職人と生産する「わしのねりプロジェクト」始動中

Withコロナ時代の企画 伝統工芸のこれから

過去の記事でとりあげたように、

これからの時代、地球環境に優しくまた無駄を徹底的に排除した、多くのモノをもち、身につけるという時代は終わります。

自分自身の生活をシンプル化するとともに自身を表現する、こだわったものを身近に置く身につける時代になります。

今までは会社に縛られていた方がテレワークにより、時間や場所、社内人間関係などの制限から解き放たれ自分時間を充実させるとともに、仕事がちゃんと来るように自身の発信力やアピール力が求められる時代になります。

これからの商品やサービスは本質が問われ、無駄と思われてしまうものは淘汰されていくでしょう。

現在の伝統工芸の問題は、新型コロナウイルスが影響する前から

  • 後継者不足
  • 原材料不足
  • 既存流通の弱体化
  • 市場の縮小
  • ブランド細分化

とありました。

とくに観光業に大きな影響を与えているインバウンドがほぼゼロの状態でどう生き残っていくか本気で検討しなくてはならない状況です。

この新型コロナウイルスの影響により、リユース着物の「たんす屋」が民事再生法の適用を申請したことに大きな衝撃が走りました。産地では今までお付き合いのある問屋をはじめとする既存流通が弱体化、営業力や集客力がなくなってきているという声が聞こえていましたが、産地とは直接関係ないリユース着物とはいえ、伝統工芸の販売手法の一つである催事販売の低迷や同業との競争激化から減収に転じていたようです。

また、良いことでもあり、悪いことでもある競争激化により様々なブランドや商品が出てきたことにより、昔ながらの伝統工芸品名とそのイメージが薄れたこともあります。海外の方や若い方には伝わりづらく、その細部の話をすると難しい話になってしまい、関心や興味よりも自分たちの暮らしから距離のあるものになってしまうこともあるようです。

この新型コロナウイルスにより、このような以前から抱えてきた問題がより濃く露呈したカタチになりました。

これからは、世の中にごまんとある商品やサービスは篩いにかけられ、持続的に必要とされるものが残ります。

その残されるものは何なのか、そのポイントは伝統工芸品にも言えるポイントになってきます。

 

1.そのモノは本質であるか

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そもそも本当に必要か必要でないか、残すべきか残さなくてもいいかという判断をされます。

お客はどの商品も購入時に本当に必要かと一歩引いてみて購入する傾向が強くなります。

必要かという問いには、「自分に利得があるか」「この世の中に残していきたい、あってほしいか」「自分にマイナスはないか」があります。

 

暮らしに役立つ技術

伝統工芸の技術は緻密であり繊細で本当に驚かされることばかりです。自然という不確実なものをカタチにするのはとても大変なことであり、この知恵と技術は何よりもかえがたいものです。

しかし、時代が変わるとともにその技術は時代に合わせて行く必要があります。

伝統工芸がその当事者に何を与えるかが明確であること。

これは便利だけではなく、もちろん気分も入ります。

和紙は保存性が高く薄く均一で頑丈なんて言われますが、モノがもつ特徴だけではなく、情緒や気分をあげるものも大事です。

両方を兼ね備えたモノでも、どちらか片方が研ぎ澄まされているものでも良いでしょう。

 

自然からの恵み

レジ袋の有料化の件もありますが、自然や環境にやさしいかという判断が働きはじめています。

伝統工芸はもともとその地場の自然から材料を取り出して作り上げてきたものです。

ナチュラルであること。

これは健康志向者や幼い子どもに対してアプローチできるキーワードであり、

地球にやさしいというこれから持続的な活動として「残していきたい」と認められるポイントになります。

 

情報過多の時代に、見るものがすぐに本質にたどり着ける、感じれるようなデザインでなければなりません。

 

2.そのモノからシーンを想像できるか

伝統工芸品が使われるシーンは大きく「鑑賞」「使用」にわけられます。

工芸品は特殊な技術が使われ造形美術品のことをいい、作家さんが制作しコンテストや大会にも出されるようなもの、美術館などに飾られるもの、観賞用として販売されるものが「鑑賞」にあたります。

また、経済産業省が進めている「伝統的工芸品」は、その持ち味を維持しながらも、産業環境に適するように改良を加えたり、時代の需要に即した製品作りがされているものが「使用」になります。

>>過去の記事『「用の美」「感の美」をもつ伝統工芸の7つの要素

 

鑑賞として感性を豊かにする精神世界

「鑑賞」はアートや芸術性が高いものであり、作家の想いや特別な技術により表現され、見るものの感性に訴えるものであり、シーンとしては美術館や家に飾るものに使われます。

また、芸術的なものと自然は感性に訴えかけるところから相性がよく、日本各地で行われている芸術祭では自然の中にアートが存在しています。

>>参考「大地の芸術祭」

 

 

使用している暮らしのイメージ

「使用」は生活の一部で使われるものになります。

陶器のお茶碗でも単品で見た場合には「鑑賞」として風情のあるものと感じるかもしれません。

しかし、用途として実際に食事に使うとなるとお米をよそった際に、どう見えるかどういう使い心地かを使用する側は購入する前に想像します。

また、使用している時に自身がどんな気分になるか、自身の使っている部屋や環境にあうかを考えます。

そのモノの雰囲気でシーンがパッと想像できるような、憧れるような世界観が広がるような見せ方や使い方が大事です。

パッケージも大事ですが、そのモノ単品でシーンが思い浮かぶようにしたいところです。

 

どのように使われるかというシーンや世界を想像できるものになっているか、もしくは新たなシーンを提案できるかがポイントです。

 

3.そのモノとのコミュニケーションが構築できているか

伝統工芸と言うとハードルが高く感じてしまうところがあります。これは「鑑賞」「使用」の微妙な線引により価格感がお客に明確でないという点がありました。また、ものを作ることに集中してしまい消費者目線を見落としてしまうことが多いようです。

その消費者目線を担っていたのが問屋などの流通になるのですが、時代はネットショップの時代です。

 

リアルとネットの両輪

「たんす屋」の民事再生申請理由に催事販売の低迷という理由がありました。

どうしても一度うまくいった手法は変えられないもので、「たんす屋」は当初催事販売で利益を得られていたはずです。それをFC店を増やしその催事販売という手法を広げたことにより、たんす屋の催事販売が特別なものではなくなってしまいました。リアルは大事ですが、偏りはリスクになります。

また、ネットがどこでもいつでも繋がっている時代に、売りっぱなしという消費者との関係は終わっています。

定額制で借り放題の陶器なんていうサービスもはじまっており、消費者と産地との関係を継続的にかつダイレクトに繋がる取り組みが始まっています。

直接つながることで、今まで作ることに専念していたのが、お客の顔をイメージして、シーンをイメージして制作することができます。そういう意味でも、消費者と顔を合わせる関係構築は必要です。

京都きもの友禅がネット販売に力を入れるという発表がありましたが、これにより京都きもの友禅の株価はストップ高になるほど株価が上昇しました。これは消費者の期待の現れではないかと考えられます。

>>京都友禅が一時S高、EC事業を7月にスタート

 

デジタルが進んだときだからこそのアナログの力の見直し

モノと人がどのようなコミュニケーションを構築するかもこれからのキーワードになるでしょう。

ここまでデジタルが進むと逆にアナログの良さが武器になることがあります。

便利なデジタルに対して、手間はかかるけど愛らしいというアナログの力をどう表現するか。

最近では、便利なロボットというよりも可愛らしいロボットの需要が高まっていたりします。

これは完璧そうに見えるロボットがアナログ的だから愛らしく感じるのです。

逆に、アナログなのにデジタルを凌駕する技術には圧倒的なパワーがあります。

アナログには、愛らしいや風情があるといったものと圧倒的なパワーや神がかり的なものを感じさせます。

アナログ的なモノは単なるモノではなく、人の感性に響かせる、磨くモノです。

 

今までは利便志向が強かったため、使い捨てなども当たり前でしたが、これからは長く身の周りにおいたり使ったりするモノが選ばれます。

すると使っていると気分があがるであったり落ち着くといった感性に馴染むものが求められます。

モノを提供する顔が見えるコミュニケーションとモノと人との感性に馴染むコミュニケーションの構築がポイントになってきます。

 

このポイントは、伝統工芸品だけではなく全商品に言えることかもしれませんが、これが新型コロナウイルスが出る前になんとか騙し騙しやれていたことが、いよいよ研ぎ澄まさなければ生き残っていけない時代になってきたのです。